自身の目に見えない心のエンジンが、どこにあって行動を促してくるのか。これは、人生を左右する大きな問題だ。
しかし、いつも自身がどのエンジンを回しているかを気付いている人は以外に少ない。例えば、焦りがエンジンになっている場合、この人には負けたくないというライバル心がエンジンになっている場合、自分の内面への克己をエンジンとしている場合、貢献性、献身性をエンジンにしている場合など様々である。
もちろん、どれか1つだけということでもなく、これらのエンジンは、複雑に絡み合って存在している場合も多い。しかし、大切なことは、どのエンジンを意識的に回そうと努力しているか?である。
特に何も考えず、自分の直感のみを信じて、もしくは環境に押し流されて、自然にエンジンが回る方向へと向かう。すると、知らず知らず、予期せぬ方向へと生活が流れて行き、結果、望んでもいないのに、そのエンジンが強化されていく。それは、賢明なことではないかもしれない。なぜなら、その先にあるものが、自分が本当に望むものではないかもしれないからだ。
長いようで短い人生を駆け抜けて行く中で、どのエンジンを回してきたかは、存在から滲み出てくる。また、時に心が硬直してくると、そのエンジンが回らなければ、まともに動くことさえできなくなってしまうこともある。結果、それを回さざるを得ない状況は、あたかも諸刃の刃を振りかざすことに近い。
自分が望んでいるエンジンではないと最終盤で気付いても、そこから別のエンジンに切り替えることは容易ではない。つまり、楽さは、罠にさえなる。楽さは、動物的な本能のエンジンを容易に強化する。テクノロジーが普及していく世界に見えるものは、エンジンは自分で決めなければならないという厳しい現実だ。そして、努力によって勝ち取るものであるということだ。ここには、思想が必要となる。社会は、100年キャリアと人生を支えるための哲学を磨くよう要請をしてきている。
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