人は得意なことで、思わぬ過ちをするものだ。
苦手なことでは、致命傷を負うまでには至らない。しかし、得意なことでは、大いなる過ちを冒しやすい。
例えば、今、私たちが得意なこととは何か。それは、言葉にお金、情報など抽象度の高いものを取り扱う力だろう。
それらを利用する力は、他の動物にはない。しかし、人間はその得意なことよって、知らず知らず危ない橋を渡ろうとする。あまりに使いやすい道具というものは、自らの手を傷つけるものだ。
では、人間がそれらをうまく使いこなすための重要な力は何か?
現代においてその1つは、「意味の生成」、新たな「解釈の構築」であろう。つまり、これまでの既成の意味合いを21世紀の文脈の中で問い直してみることだ。もしくは、人生のレイヤーで考えてみることだ。
誰もが人間。ちょっと得意げになってしまいそうな時もある。しかし、そんな一時的な状態は、所詮、幻想である。
人類は、単独で生きていくことはできない。常に、あらゆる環境とのインタラクティブな関係性の中で存在していけるのだ。1人の人間にとっても同じこと。
今、私たちはあらゆる物事の解釈とその関係における意味を、再構築していくべき時に来ている。