テクノロジーの発展とともに、人々は、美しいものへの希求をより一層深める。
たくさんの人たちが、美術館や美しい自然を見ることに価値を見る。そこには、抽象化し、分割し、細分化する世界にとりこぼされてきた、人類が忘れてきた何かを思い出させてくれる場でもある。
電子音と、電気的な信号が溢れる世界も、エネルギッシュであり魅力に満ちている。そこに美しさがないとは言わない。そもそも美しさは、テクノロジーが発展する文明を否定するものでもない。美しさであっても、時代との関係性の中で、相対的にその価値は変化するものだ。
しかし、「それは美しいのか」という潜在的な問いが、各所で深く見つめられるようになる。あらゆる物事が、そういった評価軸によってこれまで以上に深く静かに見つめられていくのだ。
働くこともそうだ。プライベートもそう。人々は真摯に美しさを希求するようになる。そういった意味では、変わらず理系は大切であるし、一方で文系も重要だろう。美しさは、理系にもあるが、むしろ文系にこそ優位性があるかもしれない。いずれにせよ、両方が大切なのである。
21世紀、人類は、予想をはるかに超えて成熟していくと思う。美しさの評価軸の高まりは、それを後押しするに違いない。
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