不満はない。生活もそれなりに充実している。でも、なんだか分からない空虚さが、心の奥に澱のように沈んでいる。
「退屈な幸せ」との戦い。密かに始まっているけれど、目に見えない時代の大潮流だ。
その隙を狙って、実存的虚無感がゆっくりと襲ってくる。それぞれが持つ、多様な暗い衝動に火を付けていく。当の本人さえも気付かないようにこっそりと。
それを振り払うかのように、刹那主義へ、快楽主義へ、人によってはニヒリズムへと堕ちていく。若いうちはそれでも良い。しかし、歳をとってくるとそのメッキは、あまりにも無残に剥がれ落ちる。
そう言った信条では、晩年の壁を到底乗り越えることはできないし、人生決別の瞬間に後悔する可能性が高くなる。
よって、それをより良く繋ぐものが、目的観や使命感だ。しかし、口で言うには容易く、掴めたと思う瞬間もあるだろうが、実際はそう簡単でもない。掴めたと思ったら、すぐにすり抜けていってしまうこともある。なぜならそれは、掴むというよりも「深めるもの」であるからだ。
それは、時間もかかるし、地味。受動的な快楽をスマホから瞬時に受け取れる時代であるからこそ、より一層そのような話は面倒くさく感じる。
しかし、この深まりと取っ組み合っていかなければ、その空虚さと真に向き合うことはできない。その壮絶なる格闘の中で、初めて「退屈な幸せ」を乗り越える鍵を手にすることができる。
時代は高速に動いている。よって、日々の電光石火の行動は不可欠だ。その中で深まりを意識すること。拙速と深耕をいかに両立するのか。そういった課題感が私たちの前には横たわる。
新刊「100年働く仕事の哲学」が発売!
次世代ビジネス&働き方を一緒に生み出そう
オンラインサロン「Social Design Salon」