パスカルは、「思考が人間の偉大さをなす」と言った。
問いの質を上げるには、あらゆる課題を簡単にテクニックの話にしないことだ。
いつも世界は、テクニックによって動いているという世界観を持ってしまう場合がある。テクノロジーの世界を安易に人間にも適用して、無意識的に機械論的世界観を築いてしまうことがある。しかし、そのような目に見えやすい方法論、つまり操作主義的には世の中は動かない。特に長期においては。
多くの場合、その底流に流れる情熱、誠実さ、信用、信条、思想などの目に見えにくいものと、その複雑な交換によって世界は動いている。そのレイヤーにおける問いかけを無視し、安易にテクニックの話に向かおうとすれば、常に「質の低い問い」を投げかけることになってしまう。結果的に、それは「質の低い解」を導くことになる。質の低い問いから質の高い解を導くことはできないからだ。
外界は極め尽くされても、その外界を外界たらしめているその内流にはなかなか光が当たらない。しかし、そこにも手をつけるべき時は到来している。ただそう難しいことはない。むしろトルストイは、「賢い人ほど、思想を表現する言葉は簡潔」と言った。
もちろんティップスも大切だ。しかし、それを生み出している大地を見る必要がある。レオナルド・ダ・ヴィンチは、木を描くとき、根っこまでを描いた。目に見えやすいものは目に見えにくいものによって、できあがっていることを彼は知っていた。しかもその時間軸は常に、1年、5年、10年、30年、50年、100年とある。そこまでを見渡す壮麗な思考が必要だ。
問いはいつも大地に根ざしたものを持とう。そこから解を導くのだ。その上でたどり着く場所には、常に鮮麗な風景が広がっている。