「コンテンツの生成」が、事業における中心的課題になって久しい。企業のアテンションエコノミー(注目や関心)の拡大は、以前として重要な課題に位置付けられている。さて、そんな中このコンテンツに関して、非常に重要な概念を提示した書籍が発売された。
川上量生さんは、言わずと知れた株式会社KADOKAWA・DWANGO 代表取締役会長。スタジオジブリの鈴木敏夫さんに付いてプロデューサー見習いをされてこられたが、その「卒論」という位置づけで発表されたのが「コンテンツの秘密―ぼくがジブリで考えたこと」である。
さて、川上さんがコンテンツをどう再定義されたのか。
「コンテンツとは現実の模倣である」というのは、アリストテレスの言葉を少し書き換えた定義ですが、客観的情報量と主観的情報量という言葉を使うと、別のコンテンツの定義をつくれます。
ここで言う「主観的情報量」は、非常に重要な概念だ。一言で言ってしまえば、「人間の脳の中で処理されたイメージ」における情報量ということになる。例えば、注視しているものが実物よりも大きく迫って見える、ということは私たちの日常だが、この個別的主観によるイメージのことを川上さんは、主観的情報と定義している。
コンテンツが現実の模倣であるなら、客観的情報量を多くすれば、より現実に近づいていくはずです。ところが人間が認識している現実とは、実は、主観的情報で見た現実だということです。だから客観的情報量を増やしても、必ずしも主観的情報量が増えるとは限りません。むしろ人間が現実を学ぶ教材として、現実の代替を務めるのがコンテンツであると考えるなら、少ない客観的情報で多くの主観的情報を提供するのがコンテンツであるということになるのではないでしょうか。
ハッと思いついたのは、「うまい似顔絵」。その人の特徴をよく現すと、情報量が少なかったとしても、与えるインパクトが大きくなることもある。
客観的情報量と主観的情報量という言葉を使った僕のコンテンツの定義は、次のとおりです。
「小さな客観的情報量によって大きな主観的情報量を表現したもの」
コンテンツというのは、映画、アニメーション、小説、記事などなど様々だ。しかし、この概念がその上位に位置づけられることで、より多くのことが説明可能になってくる。
3DゲームやフォトリアルCGを使った映画に対して、映像がリアルなだけで中身がないと批判されるのをよく耳にしますが、右の定義から考えると、この批判は、客観的情報量を増やしているにもかかわらず、主観的情報量が増えていないじゃないか、という批判に読み替えられるでしょう。
これからの時代、こういった「コンテンツの誤り」というのは、多く起こる可能性がある。「リアルであればそれでいい」バーチャルリアリティ時代に陥りがちな罠だろう。
宮崎駿監督の描く作品の表現には、主観的情報量が多いとのこと。何度も何度も観られ続ける宮崎駿監督の作品は、脳が気持ち良く受け取ることができる主観的情報が多分に込められているという。そして、鈴木敏夫プロデューサーは、トトロがヒットした理由をこのように話したという。
「なぜ『となりのトトロ』がヒットしたのか。昭和の原風景だとか、現代人の自然に対する回帰の欲望だとか、いろいろ難しいことを言う人はたくさんいる。でもそれは全部的外れだと思う。トトロが人気になったのは、トトロのお腹がふわふわしてて、なんだか触るとへこんだりして気持ちよさそうだったからというのが本当の理由に決まっているでしょう」
非常にしっくりと来る解説である。あまりに、紹介したいところがたくさんある名著なので、コンテンツに興味のある人、なぜジブリ作品には魅力があるのか?という秘密に興味がある人だけでなく、全てのビジネスマンにおススメしたい本である。
【クエスチョン】
・書籍「コンテンツの秘密―ぼくがジブリで考えたこと」を題材に読書会を開いてみよう!