人生は、不思議なもので、何かを手にすると、何かを失う。そして、何かを失えば、何かを手にするようになっている。
目に見える果実が実らないと思うような時は、往々にして、その根っこと幹が太くなっているものである。つまり、目に見える大きな成長がないように思える時は、目に見えないところで成長していると言える。
つまり、いずれにせよ人間は成長していくもの、と信じている。
時代の波は、世界をことごとく飲み込んでいく。「金融」という抽象的なワードは、いつも現実世界に巨大な波紋を残していく。
「自分は、まじめに働いているだけなのに、なぜこんなものに振り回されなければいけないのか…」その数字を見て、つぶやかれた一言が、私の心に響いた。
金融の世界は、数字という抽象度のゆえに、ある種のゲームのように見えるところもある。しかし、その先には、常に人間がいる。もっと言えば、人間の心があり、人間の命がある。
そこから影響を受けた具体的な1つ1つのストーリーは、決してゲームの延長の中では語ることはできない。
時代は、今何かを手放そうと、失おうとしているのかもしれない。そして、イコールで、時代は何かを掴もうとしている。今、大切なことは、時代が掴もうとしている「何か」である。
「時代が手放そうとしているもの、そして、これから手にしようとしているものは何か?」そんな問いについて、周りの人と一緒に語り合った時、案外、共通した答えが返ってきそうに思う。多様性のかけ声の中にあっても、共通して人々が求めてやまないものはあると信ずる。