「環境を変えることは重要なこと」
行き詰まった時、多くの場合、必ずその声が心の内に鳴り響く。そして、状況をまわりに話せば、励ましとともに、同じ趣旨の美辞麗句を並びたててくれる。
しかし「その環境の変化が、自分の課題からの逃げにつながっていないか」の判断は、正直かなり難しい。この微妙で繊細な難題と取っ組み合う前に、安易な決断をすることは、中長期的に見て後悔を生み出してしまうこともある。
環境というのは、人間の心のありようでまるで変わってしまうわけで、内面的ピンチは常に内省的チャンスと共にあるのだ。
現代は、外的環境を安逸に変えることが確かに可能だ。スマホからの情報と安価な移動によって、景色だけを変えてみても、そこには「消費」しか生まれないということがある。
先日とある知人が「学生時代にパリに行ったが、正直何も感じなかった。今行けたらどれだけの気付きと学びを得ることができるだろう」と、ぼそりと言った。
人間は、自身のフィルターの深化によって、例え日常的に見ているものからでも、全く新しい気付きや学び、新鮮さを得ることができる。
時間を短縮するため、自身の環境ばかりに目がいきがちな昨今。時間がかかる内面的なフィルターの研磨は、益々面倒くさいと思われがちである。
しかし、時間によってしか積み上げられないものの価値が再評価されいく社会の中で、そこにこそ大いなる”何か”を見いだすべき時に来ていると言えないだろうか。
何気ない日常から深く気付きを得れる内面のフィルターを手にしてから、環境を変えたり、全く新しい場所に旅に出ても遅くはないかもしれない。
どこかの歌にあったように、目にうつるすべてのものは、メッセージであると信ずる。