世界は、AI、ロボットの話題で相も変わらずもちきりだ。
そして、やはりそこには「技術的失業」の話題がつきまとっている。あらゆる労働がAIに置き換えられる時代に、アメリカンドリームはもはやないという論調までもが、支持されるようになってきている。
私たちは、働くことをどう再定義するべきなのか。誰もが、この命題を突きつけられている時代である。自分だけ逃げ切れたとしても、子供の世代、孫の世代に、それらを指し示す責任が、我々に生じていることを忘れまい。
結論から言えば、働くことは、生産の手段という側面よりも、経験を積む道具であり、貢献をするための手段という側面を強くしていく。
昨今、幸福論が語られる時、人は物を購入するよりも経験を購入した方が、幸福度が高まると言われることがある。経験の価値は、生きていく上で重要なものである。それを働くことを通して得ていくという認識は、これから益々必要となってくるだろう。
また、生産手段という側面から、無意識に切り離された貢献の手段というエッセンスは、むしろ、そちらこそが本質であるという論調へと再び変化するに違いない。奇しくもそれは、AIの文脈から導きだされている。
社会の風はその時々によって、風向と風力を変化させるが、その時代の気流の流れはそう簡単には変わらない。この大気流を全身で感じる時、いかに働くを再定義するべきか?のビジョンも見えてくる。働くの未来は、経験と貢献と共にある。