スガシカオさんの、切実なるツイートが世間を賑わしましたが…。
DLでももちろん嬉しいのですが、ぶっちゃけDLだとほとんど利益がないんだ。おれらみたいにスタジオで徹底的に音楽を追い込むタイプは、制作費が全部赤字になっちゃう。CD買ってもらうと、かなり制作費が補えるので、次の作品が作れるメドが立つんだよね。 CD売れない音楽業界の負の連鎖だ
— スガシカオ@7/21和歌山フリーLive (@shikaosuga) 2014, 5月 24
「Sparkplug」は、ミュージシャンに必要な機器、設備、場所の共有を進める米国発のプラットフォーム。
「何を」「どこで」探しているか、検索をして、貸してくれる人を見つけることができます。
まだ限られた地域ですが、ニューヨークでギターを探すとこの通り。
やはりAir bnbのようなUI(ユーザーインターフェイス)です。
ミュージシャンはあらゆるものを共有して当たり前!という世界は、あっという間に訪れそうです。
音楽の価値の再考
音楽業界に問われ続けている”今後のビジネスモデル”という命題。
伊勢丹のPV動画のような成功事例もありますし、企業に曲を提供せよ!また、ライブで稼げ!ファンコミュニティーを作れ!このように、これからもいろいろなことが言われていくのでしょう。
そして、人それぞれ、状況に合わせて様々なモデルが導入され、実際に展開されていきます。
しかし、なぜかここに、心のつかえが存在することを誰もが感じている。そのつかえとは何か?それは、「音楽をマネタイズする」という1つの形式への疑問です。
今密かに広がる時代の背景に、「価値とお金の分離」という現象があります。「価値はお金に代えられなければ価値じゃない」という認識を分離させる動きが始まっているのです。
つまり、一言で言ってしまえばマネタイズ信仰の衰退です。
音楽も、今や高額の機器を買い、何人、何十人もの製作スタッフを抱え、曲を作り、PVを作成する必要はありません。多くの人がより安くより速く曲を作り、世に問うことのできる環境は整っています。
そういう世界において、人々は、再び音楽の本質的価値、音楽に関係するところの普遍的な価値に気づくようになる。”社会に贈与されゆく音楽”という深く静かな波が「どうやって音楽で食っていくのよ?」という問いを、浅瀬の小石のように流していき、音楽におけるマネタイズの話題も自然と小さくなっていくのでしょう。
一部のスーパースター、スーパーグループになってマネタイズしていく!という文脈も当然残りますが、細かなお金がチャリンチャリンと入ってくるモデル、もしくはパラレルキャリアで活動しているので、わざわざマネタイズしない、といったような動きの方が大きくなる。
結果、音楽の文化的、社会的価値が多面的に見直されるようになる。介護施設を回るミュージシャンや、誰もがミュージシャンとして参加できるオープンプラットフォームの音楽グループなど、そこから膨らむ話題こそが、21世紀広く認知されていくのでしょう。