これから始まるベーシックインカムの議論は、「導入する、しない」というものではなく、ベーシックインカム的な制度を「どのタイミングからいくらで導入するか?」というものになっていくでしょう。
ベーシックインカムとは、最低限所得保障であり、国家がすべての国民に対し、必要最低限の生活を送るのに必要とされる現金を定期的に支給するというもの。リーマンショック後、世界的に議論は大きくなりましたが、一時鎮静化。しかし、今再び大きくなろうとしています。
ワシントンマンスリーのこちらの記事には、GDPにおける賃金の割合がこれだけ劇的に落ちていることを示しながら、アメリカ人1人あたり2,000ドル(約20万円)を支給することが、益々広がる所得格差とこれから広がる壊滅的な失業問題に対処する方法であると記されています。
壊滅的な失業の理由の1つは、インテリジェントマシーン、つまり”ロボットが人間の既存の仕事を行うようになる”ことがあげられます。
ビル・ゲイツ氏がこの辺りに強く警告を発したりと、もはや誰もがこの問題を意識せざるおえないところまできています。
公務員志向からベーシックインカム志向へ
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「発展途上国の若者は、とても勢いがあり、日本の若者はおとなしい。」
その帰結として、「日本の若者はダメである」という単純な結論に落ち着きがちです。しかし、私は決してそうは思っていません。
むしろ日本の若者は意識、無意識に関わらず感じているのです、今後の社会の方向性を。
現代においても、公務員の人気は衰えることを知りません。公務員というのはまさに「安定志向」の象徴と捉えられますが、同じ意味においてベーシックインカムも、その安定を支える制度です。
強まる公務員志向は、今後ベーシクインカムを待望する方向へと向かっていくことでしょう。
そして、若手世代は「仕事は、時給が高ければとりあえず何でもいい」というようには決して思っていません。米国においても、これを「目的経済」、つまり「意味を見いだし働く社会」として、認識されつつありますが、日本においてもその方向へと進むわけです。
「求人はあるのに、時給が上がっているのに、働き手がつかない」日本におけるその現象の背景にあるものは、「働く価値観の変化」が少なからず影響していることは間違いありません。
来週明治大学で、これからの働き方の講義をしますが、この辺りにも触れながら話そうと思っています。
私たちの社会は、今、ゆっくりと劇的な進化を遂げようとしています。