経済と文化の新たなモニュメントとなりえるのか。
リリース間近の「Detour」は、位置情報と音声ガイド、また画像によってツアーガイドをするアプリです。対応する街でアプリを起動すると、利用者の行動に合わせツアー情報を音声や画像で流してくれます。
旅行に行くと、紙のガイドを持って手探りで街をまわるのが普通ですが、リアルタイム音声ガイドのフリーハンド性は、想像以上に有り難いように思います。
もちろん、地元の人しか知らないおススメスポットも案内。
このように、画像でその場所を説明してくれる時も。
もちろん、団体で利用することも可能。どこでも博物館、美術館といった感じですね。
現在ツアーの製作においては、プロのツアーガイドや、アーティスト、ラジオプロデューサー、映画制作者が参加しているようですが、来年2015年からは、コンテンツ制作を誰もができるようにし、そのツアーを販売することも可能とする模様。
自身が住んでいる地域における歴史やおススメスポットは、住んでいても案外知らなかったりします。経路が増えていく中で、住んでいる地域の散歩ツアーとしても利用していけそうな予感も。今後の展開に注目したいアプリです。
場の役割の高度化が、身体性と一回性を復活させる
PHOTO: JAPAN from Shutterstock
現在、「場」が情報化することで、更なる可能性が解放され、場自体が新たな役割を持とうとしています。
今回ご紹介したDetourもまさにそうですが、例えば、クラウドソーシングからもそれを見て取ることができる。クラウドソーシングは、オンライン上で仕事を行う可能性を引き出すことで「個」や「チーム」に力を与えます。結果、それに紐づいた「場」を復活させることにつながっているわけです。
具体的には、地域で働く人が増える、また、家で働く時間が増える。仕事のないホームタウン、また、寝に返るだけの我が家を、家族との大切な時間をより長く過ごすための空間へと変化させます。
これまで伝えられてきた「情報化社会」という文脈においては、常にその現実として、情報空間優位、そこから派生する反復性、再現性優位が説かれてきました。より効率的に!生産性を高く!と追求するには、その情報空間における優位性を最大化することこそが大切でした。
しかし、これからの高度情報化社会においては、「場」自体が情報を取り入れ、その場の情報密度があがり、結果、リアルな場が新たな役割を有します。
そしてそこには、「身体性」と「一回性」に回帰する社会が広がる。
人間が、身体から得る情報量は膨大です。しかし、それは生産性や効率、利益という文脈とは、ここ10年、20年、必ずしも一致しなかった。しかし、これからは、決してそうとは言い切れません。Detourは、この情報化する場が、人の新たな導線を作ることにつながる。
Detourのマネタイズの方向性は、様々あると思われますが、次のようなことだって考えられます。
自分が無料で登録した徒歩30分の浅草散歩ツアー。そのツアーの中に、自身のお気に入りの和食器屋さんを紹介する。ツアーを巡った人が、そのお店で、気に入った小皿を1つ購入したら、そこでアフェリエイトフィーが入ってくる。まさにツアーバスがお店と契約し、観光客を連れてくることでフィーをもらうことと同じですが、情報化する場により、個別にそんなことも可能になります。
この方向性は、大河につながる1つの支流を見せてくれています。それは、場が情報化することによって、これまで軽視されつつあった「身体性」が情報化社会の文脈から取り戻されていくというものです。人間は、身体性から離脱することはできず、ここに高度に回帰する中で、新たな経済や骨太のカルチャーが生まれていくということに私たちは気づくわけです。
言って見れば、場の復活は、即身体性の復活につながります。
また、そんな場と身体の制約性を引き受けながらも、無限の可能性を秘める私たちの人生は、再現性のない一回性のものに満ち満ちています。その偶然とも必然ともとれるたった一回きりの何かによって、人生は彩られている。
例え毎日、同じ電車に乗り、同じ道を歩いていたとしても、服をすり抜ける風や道に生える緑、その景色はいつも微妙に違うわけです。そんな一回性のものに私たちの社会は再び目を向けることになる。
高度情報化社会における場の復活は、豊穣なる身体性と一回性の原理に、私たちを再び引き寄せてくれることとなりそうです。