ビジネスというのは、マーケットの奪い合いである。
とは言え、状況によっては、全く新しいマーケットが生まれるようなこともある。例えば、ソニーのウォークマンには、そういった側面があったかもしれないし、スマホゲームが、スキマ時間に市場経済を組み込み、巨大な産業にした例もそうだろう。
しかし、できたマーケットはあっとういう間に、パイの奪い合いに突入する。現代において、そのスピード感たるや驚くべきものになっている。
限られた時間と空間的有限を背負った肉体を持つ人間が、できることは限られている。どれだけ市場の奪い合いのスピードが加速し、テクノロジーが社会を覆い尽くしても、人間そのものはここ数千年間ほぼ変わっていないと言える。
もう一度、この人間の生きるべき道を考えるべきタイミングにきていると感じる人は多くなったが、そこに今、見え隠れしているビジョンは、一部が経済的勝者として賛嘆される社会ではなく、誰もが勝利者として寿がれる人類史上、前代未聞のトレンドだ。
共有経済の背景には、そのようなビジョンが存在しているが、今後はもっとその世界観が明確に現れてきそうである。
権力が新たなる権力によって奪われゆく世界のタームは、これまではある程度長かった。しかし、このタームが短くなればなるほどに、ここにリアルがないことを感じる人達は増えていく。
その中で、誰もが自分の人生を生きたいと願い、人として持つべき普通の自己肯定感を持ちながら、社会に貢献する生き方を選択したいと願う人は、益々増えることだろう。
そして、そういった人達を支えるためのインフラが今、世界中で広がっているのだ。そういった視点で今の世界のニュースを見てみると、また違った気付きが生まれるのではないだろうか。