世に溢れる批判、批判。その批判の渦は、自身に内在する本能的野蛮性に見事に働きかける。叩かれているものに対しては、人間はどうしても更にたたみかけたくなるものである。
もちろん、悪いものは良くしていくことが大切。しかし、そこへの指摘は、思っている以上に簡単ではない。
批判及び批評には、それを発する人の2つの見識が内在されている。それは、人間観とシステム観だ。
人間観とは、その名の通り、人間そのものをどのように捉えているか、ということである。例えば、人間というものをある一面性でしか捉えることができない場合、その人の個人的人間関係は、どうしても狭くなる。貧しくなる。
また、システム観とは、例えばそのニュースを社会的構造の中で起こったことと捉えること。そのシステムの中に人間が存在し、それと相互に影響し合いながら、私たちは生きているという事実を、深く見つめているかということである。つまり環境と人間の関係性における見識のことだ。
この構造的な視点がなければ、あらゆる問題は、常に個別具体的な特殊問題として捉えられ、その本質を立体的に見つけることはできない。その盲目は、往々にして、自身の首を知らず知らず絞めていくことにつながる。
褒める分にはいい。それが全くクリティカルでないとしても、その行為は、常に、人間性、人柄というところヘの落としどころがあるからだ。
しかし、「批判」というのは、怖い。自身の人間観、システム観をそのまま社会に暴露することにつながる。
あらゆる問題を一側面のみから捉え、無意識から沸き起こる本能に、それも無意識的に乗っかって批判をする場合、その言の葉は、常にその人物の腹の底を見せつけることになる。
ニュースは特性上、どうしても事件的、批判的なものが多いわけだが、それを批評する自分には、もっと厳しい多元的な社会の目があるということを内省していきたい。
自身の人間観の成熟とシステム観の精緻さの向上に、日々努めていきたいものである。