ふとテクノロジーを客観的に見つめる時、それが人間を幸福とは全く別次元のものであるように感じることがある。
いかに空間に物体がARで浮き出てこようと、格安で高速移動でき全世界好きなところに住んでいいですよ、と言われても、結局のところ「自分は何ものなのか?」が、存在と役割の両面から腹落ちしなければ、そう簡単に移住はできないものだ。
私たちはテクノロジーの世界とともに、もう1つの世界を再構築しなければならない。それは自身の内面の世界である。自己を解体し、再構築する。まさに社会の中で起こっていることを、自身の内面でも起こしていかなければならない。
これは大変なことだ。経験やこれまでの価値観を一度壊して、再構築する。もう一度まゆに戻って孵化を試みる。それは経験を重ね、年齢があがるほど、難しくなる。何かを持ってしまえば、それを手放すにはあまりにも勇気がいる。それこそ清水の舞台から飛び降りるくらいの精神の力が必要になる。
しかし、自己解体し、自己再生を繰り返しているような人は、確実に存在する。それこそ、70代、80代の方々でもそういう人はおり、その人たちは今も青春を生きておられる。
社会を批判するのも容易い。テクノロジーに見入られることも容易い。重ねるが、自身の内見の世界を見つめ、自己解体と自己再生を繰り返すことはなんとも苦しい。普通はできる限り避けていたいことであるし、それはスマホの世界と違ってあまりにも時間がかかるし、どこまでも地味だ。
しかし、ここを避ければ未来はない。見つめるべきは、外と内、その両方である。
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