人間の経済の業は深く重い。
例えば、メーカーは、販売をしてくれるあらゆる関係者への敬意がなくなり、自分が全てを一人でやりたいと思いだすことがある。その方が売上が半分になっても、最終的な利益は大きいと考えるからだ。
しかし、そこには厳然たる因果の道理が待っている。全ては良質なエコシステムの中でこそ動く。1人のそして1社の力はどこまでも小さい。自分や自社はエコシステムの中にしか存在しえない。それを理解して、コミュニティに良質な貢献を続けていれば、物事が掛け算で進むことがある。乗数的に反応をしていく場合もある。一人一社ではそれはありえない。
しかし、人は油断すると単数的な因果の論理でしか利害を考えられなくなる。エゴイスティックな情動が疼きだすのだ。よって、自分のみ、自社のみの利益を図り出す。それは無意識と言ってもいい衝動であり、結果、弱肉強食の市場原理の重力に安易に身を任せ、長く業火に焼かれる因を作る。
誰もが持っているこの衝動と拮抗する一つの問いは、自分は、自分たちは「何のためにやっているのか?」ということ。その問いと取っ組み合うのだ。そのぶれない原点との数限りない対話が、組織と人の精神に肥やしを与える。
エコシステムの崩壊、離脱は長い期間の孤独をもたらす。エコシステムへの貢献は、頭では捉えきれないほどの恵みをもたらす。どの問いと共に日々を生きているのか。そこに重大なエッセンスがある。