その発言の裏にある原体験を問い続けられる自分でありたい。
世間には、無数の意見が溢れている。思いもよらないところからの変化球に驚くことも少なくない。しかし、その意見は、ただ人を、意見を、否定したいということだけではない場合がある。
つまり、二元論的思想を、その人が単純に宿しているというわけでない場合も少なくない。
その時問うべくは、その人の原体験だ。その人がなぜそのような発言をするに至ったのか。その背景には、常に驚くべき事象が隠れている。
発言を単純に批判することは簡単だ。自分なりの解釈を加えることも容易である。しかし、それをするほど相手は頑なになっていく。
そんな時は、同じ人間という視点から、その人の原体験を聞いてみる。すると、突然に親近感が湧くことがある。もちろん、簡単に原体験を語ってくれないことも多いだろう。
場合によっては、原体験が複数ある場合もあったり、本人がそれをうまく把握しきれていない時もある。
しかし、そこで大事なことは、その原体験を聞き手が想像していくことだ。その背景を感じ取ろうと努力していくこと。時に、その人の無意識層にまで意識を向けて聞き入ろうとすること。
その繰り返しの中に、人間としての成熟の道があると信ずる。