人間は不思議なもので、縁する情報によって感情は大きく揺れ動く。
無限の情報が配備された社会の中で、それをうまく取捨選択することは、むしろ困難な時代である。
道を歩いていても看板はカラフルで、ポケットのスマホは光り続ける。またPCブラウザには、必ずソーシャルメディアとニュース系の情報収集窓を配置してしまう。
そんな中で、最も危険なことは、「人を見て、自分と比較すること」だ。
今の時代に結果を出している人が、100年前、200年前に生まれていて、同じような結果を出すことはほぼない。家柄、また肉体がものを言う時代に、記憶力は小さな力にしかなりえない。
ましてや、現時点であっても、ある分野の専門家が、全く他の分野に行けば、当然、素人同然になる。スーパーマンは存在しないのだ。
今は、人類史上最も多様な使命を開花させられる時代である。梅は桜になりたいと思うことはないし、アジサイがタンポポになりたいとは思わない。つまり、その人の持っているものを瞬間瞬間、自然体で開花させることに集中していくだけである。
どうしても、ニュースは特性上、飛び抜けたトピックを取り上げがちになる。しかしながら、それは水面の動きであり、現実を真に動かしている、見えにくい海流、潮流ではない。
その最も重要な潮流は、自分を信じ、誰も気にしないようなところで、地道に何かを積み上げている人たちによって動いている。
その事実を、信条にまで高める不断の努力がある中で、初めて幅広い情報収集に、深い意味と価値が出現する。
最後にもう一度繰り返したい。アジサイがタンポポになりたいと思うことはないのだ。